50cc Motorcycle

原付バイクの歴史

現在、ヘルメットをかぶらなければ運転することのできない原付バイクですが、かつてはノーヘルでも運転できていた時代がありました。自分が原付バイクの免許を取得したときは、ヘルメットの着用が義務づけられておらず、風に髪をなびかせて、いい気になって運転していたものです。


原付バイクは総排気量が50cc以下の二輪車や三輪車のことで、『原付』『原チャリ』『原チャ』などと呼ばれています。ガソリンエンジンで動くものだけではなく、電気モーターで動くものも原付バイクに含まれます。

自転車感覚

原付バイクの正式名称が『原動機付き自転車』と言うように、排気量が50cc以下の自転車のようなバイクでした。形もスクーターやバイクというよりも、自転車に近いものがあったのです。


教習所に通うこともなく、ペーパー試験だけで免許が取得できる原付バイクは、まさに自転車感覚で乗ることの出来る、手軽なバイクでした。原付バイクが世の中に浸透したきっかけは、あの本田宗一郎という人物です。知らない人はいないでしょう。世界のホンダの創業者です。世界を巻き込む人気を博した『カブ』を浸透させた人物です。カブから火がついた原付バイクですが、次に庶民層に受け入れやすい、低燃費で低価格のスクーター、『ロードパル』が発売になり、同じくバイクで有名なヤマハからも『パッソル』などと言ったスクーターが登場し、原付バイクの人気もうなぎのぼりになっていきました。

ミッションタイプの原付

それまで手軽に乗ることが出来たオートマチックタイプのスクーターでしたが、ミッションタイプのものも登場し始めます。


1979年、ホンダから2サイクルエンジン搭載の、『MB50』が販売されました。それまであった『モンキー』や『DAX』と違い、高性能でパワフル且つ車体も大きめの原付バイクで、MB50の登場から空前のバイクブームが起こりました。大きく変貌をとげた原付バイクは、1980年代に現在の原付バイクの源流となります。


日本での原付バイクの制限速度は時速30kmです。30kmしか出せない代わりにヘルメットの着用義務がなかったのですが、高性能が求められた原付バイクブームの中で、時速100kmを出すものもありました。現在ではメーカーの自主規制で、速度上限装置が設けられ、時速60km以上出せないようになって、ヘルメットの着用も義務付けられるようになりました。

現在の原付バイク

バイクの排ガス規制の法律が2007年にでき、バイクメーカーではキャブレータからインジェクションに燃料の供給システムを変更する対策をしなければいけませんでした。こうしたことから、主要メーカーの原付バイクは、2サイクルエンジンから、自動車と同じ4サイクルエンジンに全ての新車が移行しました。


2サイクルエンジンだとエンジン形式も単純でコストも低設定でき、車体の重量も軽くできたためにフルに馬力を出すことができました。


4サイクルエンジンになると燃料噴射装置や三元触媒の使用も不可欠となったことからコストもかかり、車体価格もアップしてしまうということが起きています。新しい原付バイクでは、馬力は期待できないと言うことです。

COLUMN〜受け継がれたスクーター

1980年にホンダから発売された原付バイク、『タクト』というスクーター。ホンダの2ストロークエンジン車の削減方針により、現在は生産が中止されて絶版となっていますが、女性に人気のあるスクーターでした。母がスクーターの免許を取得し、車の免許取得まで愛車として乗っていましたが、自分が16歳になり、タクトを受け継ぎました。真っ赤な車体が気に入って、どこに行くにも一緒でしたが、やがて自分も自動車免許を取得し、タクトは車庫でホコリをかぶっていました。田舎の従兄弟に引き取られることになり、大事にメンテナンスされ、滅多に車が通らない道路を我が物顔で乗り回していましたが、購入してから20年、ついにその役目を終えたようです。ご苦労様と言ってやりたいものです。